クラリス・ホーエンとは……
ホーエン侯爵の長女で、キラティア皇国、第二皇子ルーカスの幼馴染であり婚約者候補。
深紅の髪と瞳をしたクラリスは、性格をあらわしているかのように少々つり目の悪役顔であり、派手なドレスや宝飾品などで着飾っていた。
クラリスには、モブA、B、Cという取り巻きがおり、ルーカスに言い寄る女生徒をいつも四人で取り囲み、校舎裏でいじめていた。
その被害にあうのは、学園に転入予定であるヒロインのティアナも同じだ。
派手好きで傲慢で我儘。教員ですら手をあげてしまう程で、学園ではクラリスに誰も逆らうものはいない。
それが、クラリス・ホーエンだった。
ゲームが進んで行けば、クラリスにも3つのエンドが待ち受ける。
1つ目は、ヒロインのティアナのハッピーエンドである玉の輿だ。
皇子であるルーカスと庶民であるティアナが出会って間もなく、ティアナは、皇妃候補の一番にあがっていたクラリスを押しのけ婚約を発表される。
クラリスは、それをよく思わず、ティアナへの執拗ないじめを取り巻きと共に行う。ルーカスにそれが知られ、断罪イベントで服毒にて殺されてしまう。
ティアナは、ルーカスと結婚して幸せに暮らしましたとさ、めでたしと締めくくられる。
ルーカスを想って世話を焼き、国の未来のため、敢えて辛い役目に当たっているクラリス。庶民出で自身の正義しか信じず、国を揺るがす存在になりうる世間知らずのティアナから、ルーカスを遠ざけようと奮闘した結果が、『死』とは、まったく笑えない冗談である。
2つ目は、クラリスが国外追放されるとのことだ。
侯爵家のお嬢様が追放なんてされたら……どうやって生きていくのだろうか? 行く末を案じていたのだが、他人事とは言えなくなった今、何か生きるすべを考えなければならない。このお嬢様、一体何ができるのだろうか?
3つ目は、ティアナのバッドエンドである。
クラリスにとっては、ハッピーエンドと言ってもいいだろう。
クラリスは第二皇子ルーカスと結婚する。ルーカスは渋々結婚したというふうであったが、クラリスにとって大好きな人と結婚できたことになる。
でも、今のクラリス……私なのだが、ルーカスへの恋心の欠片もない。
この場合、ヒロインのティアナは、クラリスたちの結婚式を見た後、どこかに旅立ったと締めくくられる。
なんとなく覚えているのはこのあたりまでだ。ゲームの物語、すべてはない。
「このなかだったら……クラリスのハッピーエンドを目指したいわね。でも、ルーに恋をしているわけでもないから……結婚は、今はまったく考えられないし……婚約者候補になるには、一体どうしたらいいのかしら?」
「クラリス、何をブツブツと言っているのか知らんが、そなたと俺の婚約は一年後に発表される。考えられないと言っても、もう、ほぼ決まっていることだ」
「それって、ルーが破棄するっていえば、私たちは結婚しなくていいってことでしょう?」
「そ……そなた、あんなに俺に……」
「俺に?」
向かい合わせに座っているルーカスに向かって、「何のことかしら?」と頬に手を当てコテンと首をかしげる。
大きなため息をついて、軽く頭を振っているルーカス。
何かおかしなことでも、言ったのであろう。私の預かり知らぬ感情など知ったことではないし、どうすれば寿命をまっとうするまで生きていられるのかしか考えていない今の私にはルーカスへの恋慕なんてまったくない。
「どこか、変かしら?」
「どこもかしこも変だろ?」
「どこも、おかしなところなんてないと思うけど……」
食い違う私たちの意見に、また、ため息をついて肩を落としているルーカスを他人事のように見つめる。
ルーカスは、私に対して怒っていたはずなのに、侍医の診察以降、親身に私のことを気遣ってくれていた。
「今日は倒れたんだ。そろそろ屋敷に戻るといい。ホーエン家の執事に今日の事情を侯爵に話してもらって、クラリスは帰ったら、すぐに休め!」
服毒の刑を執行し殺された結末と、渋々結婚した結末しか知らないので、意外と優しいルーカスに驚いた。
クラリスじゃないと言い張った私を気遣ってくれていたのだろう。
ルーカスは私に近づき、私の前髪を上げ、おでこにキスをする。
普段からそんなことをされることもなく慣れていないため驚いた私は、慌てて立ち上がった。
ゴンッ! っという音は、私の頭でルーカスを頭突きしてしまったらしい。
鼻を抑えながら涙目で私に訴えるも、ルーカスは余程痛いのか声にならなかった。
「ふふ……ごめん……ふふふ……」
「……痛かったぞ?」
「ごめんなさいって!」
あまりのタイミングに口元を抑え、それ以上笑わないように俯き加減に体を震わせる。むぅっと不機嫌なルーカスから、今度はキスしたところにデコピンが飛んできた。
「あいたっ!」
おでこを抑えると、してやったりと笑うルーカスがいる。
見たこともない顔をして笑っているのは、ちょっと反則ではないだろうか。
「おあいこだな!」
人懐っこく子どもみたいに笑うルーカスは、初めて見る。本当のクラリスにもこんな笑顔を向けていたのだろうか?
いや、それはないだろうなと思いなおす。渋々結婚するかもしれない相手に、こんな笑顔を向けるとはないだろう。
それに、こんな素敵な笑顔のルーカスのスチルは、ゲームには出てこなかった。
ルーカスのその笑顔を見て、ソワソワと落ち着かないのに、あたたかい気持ちになった。
不安だったここ数時間で、こんなに心を救われるような想いをできるときが来るとは、思わなかった。