目を開くと、シャンデリアが夕方の光に照らされ輝いている。天井には絵画が描かれており、天使が神様のそばへ向かっていた。
この世界の神様は、私のことも救ってくれるだろうか?
「目を覚まされましたか?」
メイドらしき女性が、私を覗き込んでいる。
ひらひらのレースと、黒い衣服のコントラストが美しい。日本でメイドを見た時には、いわゆる「萌え系」だと思ったけど、実際に働いている人をみると、「仕事人」という感じだ。
「あ、はい! すぐ起きますね!」
だが、体を起こすと、頭の痛みにうめいてしまった。
「うぅ……」
「ゆっくりで大丈夫ですよ、お嬢様……」
そういいながらも、メイドさんは、なんだか奇妙なものを見る目で私を見つめる。
それもそうだ。「クラリス」は噂どおりの悪人で、メイドにも八つ当たりばかりしていたのだから。
メイドは「みなさんを呼んできます」といって、慌てて部屋を出て行ってしまう。大きな部屋に一人取り残されてしまった。
まだ夢の世界かもしれないと一縷の希望を抱いて、私は、むにっと頬をつねる。
「ひぃひゃい……て、言うことは……夢ではない……のね」
俯けば、深紅のドレスと爪、豊満な胸が見える。
「これ、乙女ゲームに転生しちゃったってやつ……?」
でも、たしか、あれって……死んだ人がなるものだよね……?
「……てことは、私、死んじゃったってこと? 暁斗と喧嘩したまま死ぬなんて……」
前の世界の私には、婚約者がいた。浮気ばかりするギャンブル好きの男だったけれど、こんな私を唯一好きだと言ってくれた。両親とも早くに死に別れ、兄弟もいなかった私にとって、「お前が好きだよ」と言ってくれた人を、鳥のヒナのように愛するのは当たり前のことだった。いくら殴られても、いくら浮気されても、暁斗と別れたくなかった。
でも、ようやく結婚にこぎつけたのに、昨日、暁斗は結婚式場に行く約束を急にキャンセルした。私たちは喧嘩し、暁斗は私を殴って出ていった。
その時に、頭をしたたかに家具にぶつけたのだ。やけに眩暈と吐き気がして、「あれ、なんかおかしい」と思ったが、病院にはいかずにそのままベッドへと向かったところまでは覚えていた。そうして目を覚ましたら、この異世界で悪役令嬢となっている……。
「……あのとき、頭の打ちどころ、悪かったのかな。それで死んじゃったってこと?」
暁斗は、倒れている私を見て、どうしているだろう? 少しくらい、慌ててくれているだろうか?
だんだんと不安になってくる。
考えたところで、元の世界に帰れないのだろうことはなんとなく察しがつく。考えても仕方がないと思い、大きなベッドから降りようとすると、いきなりドアが大きな音を立て開く。何事?と思ってそちらを見ると、そこにネイビーブルーで金目の青年が、ドアの前で仁王立ちしている。私のことをみて、ツカツカと無遠慮に入ってきた。
「クラリス、目が覚めたのか!」
「……だから、私は、優奈です!」
「いや、俺の幼馴染で婚約者候補のクラリス・ホーエンだ。見間違うわけがない!」
「まぁ、そうなんですけど。そうなんですけど、違うんです! 中身は優奈で……でも、信じてもらえるわけがないかぁ……」
いつもないはずの胸がとても重くのしかかる。
「異世界から中身だけ変わったんです!」、なんて言って理解してもらえるはずがない。どうしようかと思っていると、青年がビシッと指をさす。
「ええい! もう、ユウナでもクラリスでもどっちでもいい! 侍医を連れてきたから診てもらえ!」
そう言って、近くにあった椅子に座り込んだ。
侍医に診てもらっても、体には問題ないと思うけど。
でも、婚約者候補だとか言ってたから、青年としては、クラリスの体の容態が気になるのかもしれない。
私が風邪をひいていてもパチンコに行っていた暁斗とは大違いだ。
そういえば、この青年の名前すら聞かないでいることを思い出した。
「あの……ちなみにどなたでしたっけ? さっき、その、皇子とか言っていたような……?」
「まったく、本格的にどうかしているな」
目の前の青年は、やれやれと言うふうにため息をつく。
「俺はキラティア皇国第二皇子のルーカス。そなたは、俺の幼馴染でクラリス。みなの前では俺のことをルーカス様と呼び、二人のときにはルーと呼んでいた。何か思い出したか?」
ルーカスは心配してくれているようだが、私は首を横に振る。
目の前の青年が、私の予想していた乙女ゲームの攻略対象であること、もはや私自身の境遇が言い逃れできないほど異世界に来てしまったことを理解させられた。
そして、ゲームの中で見た青年を『ルーカス様』と呼んでいるクラリスやヒロインは見たことがあるけど、二人のときには『ルー』と呼んでいたとは知らなかっなとルーカスを見つめ返す。
「……ルーカス……さん?」
「なんだ?」
「……私、どうしたらいいのかな……?」
ゲームの中に転生したなんて、とてもじゃないけど言えず、私は項垂れる。
ベッドがギシっと揺れて顔を上げると、ルーカスに抱きしめられていた。
「あ……あの、ルーカスひゃんっ!?」
「迷子になった子どものようだったから……つい」
「……あ、ああ、ありがとうございます? でもあの、優しくされるのは慣れてないので、あの、その……」
どうしていいかわからず、顔が真っ赤になる。
見られるのが恥ずかしくて、俯いたままルーカスに体を預ける。
「いつもこうして甘えてくれればいいものを……」
「いつも!? いつもこんな幸せなことしていたら、私溶けちゃいます!」
「溶ける……? 本当に、今日は妙なことを言う」
ルーカスが少し笑う。ネイビーブルーの髪をかきあげる仕草も様になっていて、一枚絵のスチルになりそうだった。
「ルーカス様、侍医が参りました」
「ああ。では侍医、頼むぞ」
「ルーカス様の為なら……」
そう言って入って来たのは、白髪に長い白衣を着た青年だった。小さな眼鏡をかけているが、顔の美しさは隠しきれない。
この世界は、ゲームの世界だ。誰をとっても全員が美しい。特に、ヒロインの攻略対象は。
「まずは、お名前から……」
「西条優奈」
「年齢は……?」
「ええと、私は……企業秘密で」
「……記憶喪失なのでしょうか?」
「あの、私、クラリスがどう過ごしていたかそんなに思い出せなくて。あぁ! もっと、ゲームやりこんでおけばよかったなぁ……」
そうですか、と侍医が深くうなずいて、カルテに何か書く。
「ルーカス皇子。クラリス様は何らかの原因で、記憶がございません。何処かで頭を打たれたか、ストレスが多くかかって心のバランスを取るために、今までの記憶をなかったことにしてしまったか。サイジョウユウナという名前をいうのは、何かしらの記憶が混濁しているからなのやもしれません」
「どうすれば治る?」
「そうですね。しばらく様子を見ましょう。体にはどこも異常がありませんので、時が経てば元に戻るかと」
一緒に聞いていたルーカスと私は唸るばかりである。
「あの、ちなみにルーカス様。私って、今、何歳なのでしょうか?」
「そなたは、俺と同じく17歳だ」
「17歳……ヒロインがあらわれるのは、18歳になる年の学園。ヒロインのハッピーエンドだと私が服毒で死刑にされ、ヒロインのバッドエンドだと国外追放もしくは、ルーカスが嫌々クラリスと結婚……」
ルーカスはそっと私を盗み見て、訝しんでいる様子だった。
「なんだ? 服毒で死刑って」
「うぅん……。死ぬのだけはいやね。元いた世界では既に死んでるとはいえ、またすぐに殺されるなんて。そうね、国外追放で、辺境で貧乏に暮らすならいい。うん。そうね、死ぬ以外なら平気!」
目指せ、国外追放! そのためには、何ができるだろうか?
ヒロインは、もうすぐ学園にやってくる。それは逃れようのない事実だ。
そして、ヒロインは数多の男性と恋に落ち、それぞれの傷を癒す。
ルーカスもその一人で、最終的に、ヒロインはルーカスと結婚して妃になるのだ。
ヒロインやルーカスと仲良くすればいいのか? いや、それだけで死刑を回避できるだろうか。
とにかく情報を集めないと……。
「おい、クラリス。本当に平気か?」
心配そうに聞いてくるルーカスの声を聞いて、ハッと気づく。
「そうか! ルーカスさんがいる!」
「えっ?」
「ルーカスさん……いえ、ルーカス様! どうか私にクラリス・ホーエンのことを全て教えてください!」
「教えろって……そなた、聞いてどうする?」
「そりゃあ、もう、国外追放ルートに行く方法を考えて……いえ、なんでも。早くこの記憶喪失を治したいのです! そうすれば、またルーカス様と仲良くできますでしょう?」
「今までそんなに仲が良かったかと言われれば別だが……。まぁいい。来い。俺がお前に、『クラリス・ホーエン』のすべてを教えてやる」
そういって、ルーカスが手を差し伸べる。私はその手をとって……ルーカスを見てから、立ち上がる。
もう悩んだって仕方ない。「私」の人生は終わってしまったのだ。
これからは「クラリス」で生きていくしかない。
どうせ生きるなら、前の人生みたいに愛しても裏切られ続けるのはいやだ。
ルーカスはヒロインとくっつくからダメだとして、本当に私を愛し、私が愛せる人を探したい。
「クラリス」の。いいえ、「私とクラリス」の、新しい人生が幕を開けた。