腕の中の女の子に問いかけた俺だったんだけど、
「うげ――ッ!?」
俺は今さらながらに、女の子をぎゅっと力強く抱きしめてしまっていたことに気がついた。
俺の左手は女の子の腰を抱きすくめ、右手は頭を抱き抱えてしまっている。
(ちょ、タックルからの傷害罪を回避したと思ったら強制猥褻で警察のお世話とかシャレにならないんだが!?)
慌てて手を放して立ち上がった俺に、
「あ、いえ。実はわたしの方も走ってましたからぶつかったのはお互い様なんです。むしろ怪我をしないように助けていただいてありがとうございました」
しかし女の子は立ち上がると、頬を赤らめながら感謝の言葉を述べてきたのだ。
(ああ、優しいいい子で良かった)
そんな心優しい少女はと言うと、うわっ、なにこの子!? すごく可愛いんだけど!?
サラサラの黒髪には綺麗な天使の輪っかがあって、すごくつやつやでキューティクル。
小顔で可愛らしい顔立ちはテレビに出てくるアイドルみたいで、文句なしの美少女だった。
そして今日から俺が通う県立夢野高校の真新しい制服を着ているから、多分同じ新入生なんだろう。
「その制服って夢野高校だよな? 俺もなんだ、今日からの新入生。もしかして君も」
「はい、わたしもです――ぁ」
そう言った女の子は、なぜか俺の顔を見て固まってしまった。
(な、なんだ? 俺の顔に何かついてるのか? 一応朝鏡を見て鼻毛とかもチェックしたんだけど。っていうかこんな美少女にまじまじと見つめられると、めちゃくちゃ緊張するんだが……)
たっぷり30秒ほど見つめられてから俺はおずおずと切り出した。
「えっと、俺の顔に何かついてる?」
「え? い、いえその、つい見とれてしまって……。なんでもありません、不躾な視線を送ってしまい、まことに申し訳ありませんでした」
「いいよそんな。それよりそろそろ行かないか? ぐずぐずしてると入学式に遅れる――のは確定してるけど、まだ途中からなら参加できるだろうし」
「そ、そうでした!」
「でももう歩いて行けばいいよな? 5分遅れようが15分遅れようが今さら一緒だろうし」
「そうですね、ふふっ」
俺は制服のほこりを軽くはたく。
転倒した時に地面に擦れて裾に少し擦り傷ができてしまったけど、自業自得だから仕方ない。
逆に女の子の制服は汚れていないようで俺は一安心する。
せっかくの晴れの入学式なのに、汚れた制服だと身だしなみに気を使う女子的には辛いだろうからな。
それに引き換え男子の制服はちょっとくらいほつれていても大したことじゃないし、女の子に傷をつけなかったほうがよっぽど大事だ。
むしろ女の子を守った勲章として、自慢できるまである。
なんてことを考えていたら女の子が俺の制服の裾を指差して言った。
「制服の裾がほつれてしまってます。さっきぶつかったせいですよね?」
「ああこれ? 別にたいしたことないよ。それにぶつかったのはお互い様だってことで話はついたはずだろ?」
「いえ、怪我がないように守っていただいた上にそこまで気を使われてはこちらも気がすみません。ここであったのも何かの縁です。入学式が終わったらうちに来ていただけませんか?」
「いやほんとそこまでのものではないから」
ほんとそんなたいそうなことじゃなかったんで、俺ははなおも遠慮したんだけど、
「……あの、今、わたしたちキスしましたよね?」
女の子が放ったその言葉に、俺は思わずギクッと身体を震わせてしまった。
「げほっ、えっと、あの、それは……」
「転倒する際に抱え込んで助けてくれた時、あなた様の唇とわたしの唇が触れ合いましたよね?」
しろどもろど言いよどむ俺に、女の子がズバリと事実関係を指摘してくる。
言い逃れはできなかった。
(いや、言い逃れなんて男らしくないし、マイルールに反するじゃないか)
俺が言い逃れするような最低男だったら、ヒナちゃんはきっと悲しむから――!
「あれはほんと不可抗力だったんだ。君に変なことするつもりなんて全然なくて、俺は誓って邪な気持ちなんて持ってなかったんだ」
これはほんとにほんと。事実なのは間違いないけど、過失なのも間違いないんだ。
この子は心優しい女の子だから誠意をもって伝えればちゃんと伝わるはず。
この時点でもはや入学式に間に合うことは諦めていた。
人生で一度の一大イベントだけど、世の中高校の入学式より大事なものはいくらでもある。この子の誤解を解くのがまずは何より大切だ。
俺が懸命に釈明を続けていると、
「実は我が家のしきたりで、男子と接吻した女子はその相手を生涯の相手として添い遂げよというものがあるんです」
少女がいきなり突然そんなことを言ってきた。
「え? はい? しきたり……?」
(しきたりって確か、古い家に大昔からある決め事のことだよな? でも、え? キスした相手と添い遂げる――結婚しろってしきたりだって!?)
事ここに至って、もはや俺の頭に入学式のことは全くなかった。