「いやあの、急にしきたりと言われてもだな……」
「もちろん令和の時代に、そのような当家のしきたりを他人に無理強いはいたしません。ですが、そうですね。ではお試しで今日から1か月の間『男女のお付き合い』をしていただけませんでしょうか?」
「だからその、急にそんなこと言われても……それにお付き合いとか結婚とかは、当事者の気持ちが大事じゃないか?」
多分もう会うことはないんだろうとは薄々思っているけれど。
それでも俺の心の中にはヒナちゃんとの約束があるんだ。
今でも俺は心のどこかで、ヒナちゃんが会いに来るのを待っているんだ。
そんな気持ちでいる俺だから、おいそれと他の女子と付き合うわけにはいかないのだ。
「わたしは割と容姿が優れていると周りから言われることが多いのですが、もしかしてあまり好みではないでしょうか?」
そんな俺の反応を見て女の子が顔を曇らせる。
その姿はなぜか、ヒナちゃんと離ればなれになった日のことを俺に強く思いおこさせた。
必死に涙をこらえながら、
『ハルアキくん、大きくなったら結婚しに行くから、待っててね』
そう言ったヒナちゃん。
どうしてだか目の前の少女が、俺の元から去っていくヒナちゃんとダブって見えたのだ――。
「まさか、全然そんなことはない。むしろすごく好みだ。だからその、お試しで1か月お付き合いって言うくらいならオッケーだぞ? そのまま好きになるかどうかは分からないけどさ」
だから俺はついついそんなことを口走ってしまっていた。
でも、この女の子を悲しませちゃいけないと、俺の心が不思議なほどに強く強く訴えてきたんだ。
「もちろんそれで結構です。先ほども言ったように無理強いはしませんから。でも良かったです。わたし、ハルアキくんに気に入ってもらえるよう一生懸命がんばりますから!」
「俺みたいな平凡男子と付き合うことになってそんなに喜んでもらえるのが、逆にちょっと申し訳ないんだけど――って、あれ? ハルアキくん? なんで俺の名前を知ってるんだ? 自己紹介はまだしてないよな?」
「うえぇぇっっ!? あ、えと、あの、それはその……」
俺の疑問を聞いた少女が急に取り乱してあたふたし始めた。
手で髪を触ったりスカートや制服のすそを直したりと、目に見えて落ち着きがなくなる。
「あれ? なにか変なこと言ったか?」
「えっと……だからその……あっ! せ、生徒手帳です、生徒手帳に書いてありました!」
そう言うと、少女は落ちていた俺の生徒手帳を拾い上げてシュバっと押し付けるように手渡してきた。
「やばっ、落としたことに気づいてなかった。ありがとう、すごく助かった」
ん? あれ?
でも生徒手帳の表紙には名前は書いていないよな?
開いて中が見えちゃったのかな?
まぁ見られて困るものは入ってないからいいんだけどな。
「いえいえどういたしまして! そう言えば自己紹介がまだでしたね。わたしは鴻池陽菜(こうのいけ・はるな)です。よろしくねハルアキくん」
鴻池陽菜と名乗った少女がぺこりと頭を下げる。
「俺は古賀春明(こが・はるあき)。よろしく、鴻池さん」
「とても堅苦しい苗字なので陽菜でいいですよ。それにこれからお付き合いするんですし、名前で呼び合うのがむしろ普通ではないでしょうか」
「あくまでお試しお付き合いだけどね。じゃあ、えっと……陽菜?」
「はい、なんでしょう」
「ごめん、試しに呼んでみただけだから……」
うぐっ、試しに呼んでみただけなのににっこり笑顔で返されてしまった。
これから1か月こんな可愛い子を名前で呼ぶとか緊張しかないんだけど……。
しかもお試しとはいえこれから1か月の間、陽菜と付き合うことになるのだ。
もしかしたらその先も――。
(っていやいや俺にはヒナちゃんとの約束があるから、節度を持ったお付き合いをしないといけないんだ!)
「じゃあそろそろ行きましょうか」
「行くってどこへ?」
「もちろん高校の入学式ですよ、まだ最後のあたりで参加できるはずですから」
「うげっ、完全に忘れてた……あーあ、高校初日から遅刻か」
「ふふっ、でもそれはそれで、後から思いだしたらいい思い出になりそうじゃないですか?」
つい愚痴をこぼしてしまった俺に、陽菜は笑顔でそんなことを言ってくる。
「陽菜はポジティブなんだね」
「昔ある人に教えてもらったんです。うつむいて泣いてちゃ前が見えなくなるだけだぞって」
「へぇ、いいこと言う人がいたもんだな」
「……そうですね。いいこと言う人がいたんですよ」
「?」
なんか今、陽菜の反応がなんとなく微妙だったような?
「では今度こそ行きましょうか」
「そうだな」
こうして。
俺こと古賀春明と鴻池陽菜は、桜が咲き誇る高校一年の入学式の日に出会い。
そしてなぜか『お試しお付き合い』をすることになったのだった。