悪役令嬢、ブラック企業を斬る! 1
王国暦二十七年。
ある女性が処刑された。ロロニクリュー侯爵家令嬢、アリーシャである。
罪状は反逆罪。第二王子ザンドルを操り王位簒奪を謀ったというものだった。
良く晴れた日、絞首台に乗せられた彼女の最後の言葉は、
「憶えておきなさい。正義は必ず勝つのですわ」
だったと伝えられる。
「つまり、敗北して処刑された君は悪だったということだね」
読み上げていた本をぱたんと閉じ、皮肉げな口調で男が言った。
「他人の解釈に口を挟むつもりはありませんわ」
私はふんと鼻を鳴らし、自分の手を見る。
剥がされた爪も、折られた指も元通りになっていた。
おそらく、身体中の拷問の痕も消えていることだろう。魔法のように。
「さすがは死後の世界、というところですか」
「厳密にいうと違うのだが、それこそ解釈はご自由にといったところかな」
肩をすくめる男。
中肉中背、ということ以外、まったく印象に残らない。
髪の色も瞳の色も、見ているはずなのに頭に入ってこないのだ。
「ご自由と申されましても、御身は神で、私の罪を裁くためにここにいる、としか解釈できませんのよ」
「では、そのように話を進めよう。アリーシャくん。君は刑死した。このことについて、なにか言いたいことはあるかね?」
「ございません。失敗した簒奪者の末路ですわ」
「ふむ。行為自体を悔いてはいないということだね。それでは、どうしてそのような暴挙に及んだのか、聴いておこうかな」
神とは名乗っていない男が訊ねた。
私は、ゆっくりと目を閉じる。
理由か。
今となっては詮無きことだが、国を、民を憂えば、王太子ザカールに王位を渡すわけにはいかなかった。
圧倒的な武力とカリスマ性を持った建国王の死後、我が国は平和と繁栄の時代を迎えていた。第二代の国王は父親ほど傑出した人物ではなかったが、国内の安定と臣民の生活の向上につとめ、まず大過なく国を運営している。
しかし、その息子は駄目だ。
ザカール。あの男に国は背負えない。
国を食い潰すだけの害虫である。乱行は目を覆うばかりだったし、湯水のように国庫を|蕩尽《とうじん》し、自らにおもねる者だけを側近にとりたて、手慰みに民草を犯し殺す。
海賊か山賊の首領の方が、まだ紳士的なくらいだった。
このままヤツが玉座につけば、我が国は暗黒の恐怖政治のなかに沈み込んでしまうだろう。
誰かがザカールを打倒しなくてはならなかったのだ。
「その誰かというのが、第二王子のザンドルというわけだね」
「私は女ですので王にはなれませんから。誰でも良かったのですわ」
「第二王子を逃がすために自ら囮となって捕まり、どれほどの拷問を受けても頑として彼の居場所を話さなかった君の口から、誰でも良いなどという言葉が出るとはね。じつにツンデレだよ」
男が笑う。
うるさい。
私は民草のために行動していたのだ。べつにザンドルを愛していたから婚約したわけではない。
もちろん嫌いだったわけではないけれども。
それより、ツンデレとはなんだ?
「敵対的な言動がじつは好意の裏返しである人物のことさ。君のようにね。アリーシャくん」
「ぐ……」
「そして、これから君の赴く世界は、わりとそういう感覚的な用語が使用される場所だ」
「赴く……?」
思わず首をかしげる。
死後の世界、ということだろうか?
「少し違うが、死後という意味においては間違っていないかな」
「というと?」
「アリーシャくん。君が行くのは地球という惑星の日本という国だ」
「ワクセイ……?」
首をかしげる私に説明してくれる。
その世界は、ずいぶんと文明が進んでいるらしい。
そもそも世界が球体であるということすら今ひとつ理解が追いつかないが、人は魔法を使うこともなくなり、かわって科学というものが誰でも使える力として席巻しているという。
「そして命が重く、民草には平等が保証されている、ですか。大変に素晴らしい世界ですわね」
「べつに理想郷というわけではないがね。さまざまな矛盾や問題点を抱えた、当たり前の世界だ」
「そこにたどり着くまでに、多くの血が流れたのでしょうね」
「君は本当に聡明だね」
すべてを見透かすような笑み。
不快さは感じなかった。
おそらく、この男にとっては私の生きていた場所も、これから行く場所も非常に未成熟な世界なのだろう。
当然だ。
神から見れば、人間など未熟で不完全で取るに足らないような存在だろうから。
「そう卑下したものでもないのだがね」
「平然と心を読むくらいですし。対等だとお思いでしたら、そういう行為はしないでしょう」
「これは一本とられたね。失敬。私たちは言語でコミュニケーションを取るということをしないため、つい癖でやってしまう」
「なるほど」
私の水準に合わせて、言葉にしてくれているということか。
ずいぶんと親切な神である。
ありがたくて、涙が出そうですわ。
「わざわざ思考で嫌味を飛ばさなくてもいいよ。話を続けていいかね?」
「ご随意に」
「君の個性は死なせるには惜しい、と、彼の世界を管轄するものから申し出があったのだ。私も話してみて同意見だった」
惜しかろうがなんだろうが、私はすでに処刑されたのだろう。
いまさらどうするというのか。
ああ、なるほど。
それで死後の世界の話に繋がるということか。
「その通りだよ。アリーシャくん。本当に驚くほど聡明だね」
「拒否した場合は、どうなるのでしょうか?」
「どうもならないよ。君の存在はそのまま消滅する。それだけだ」
本来、それが死なのだという。
死後の世界などないし、ただ消えてゆくのみ。
業腹な気もするが、それはそれで正しい在り方のようにも思う。
何度もやり直しができるなら、誰が懸命に生きようとするものか。より素晴らしい人生を求めて、ひたすらやり直すだけだろう。
「だから、これは特別褒賞のようなものなのだよ。彼の世界に多大な貢献をした君に対するね」
「|野望《ゆめ》破れ、処刑場の露と消えましたが?」
「君はね。しかし志は受け継がれた」
そういって、彼はふたたび本を開いた。
処刑されたアリーシャ・ロロニクリューは、稀代の悪女として喧伝される。
まさに悪の公爵令嬢というところだ。
国を奪おうとした大逆犯なのだから、その処置はむしろ当然だろう。しかし、彼女が死んで世の中が良くなったかといえば、まったくそんなことはなかった。
最大の敵を葬ることに成功したザカールは我が世の春を謳歌し、国は乱れに乱れ、民草は恐怖のどん底に叩き落とされた。
否、恐怖は民だけではなく、貴族たちにも及ぶ。
王となったザカールが手を動かすたび、舌打ちをするたび、宮廷の人口も街の人口も減っていった。
気に入らなければ殺す。気に入ったら犯し、もてあそび、飽きたら殺す。
それは、ある意味において公平な社会だった。
いつ自分が殺されるか判らない、という恐怖を全員が持ったから。
ようやく民も貴族も、どうしてザンドルやアリーシャがザカールを打倒しようとしていたか気付いた。
しかしすべては手遅れ。
ではなかった。
わずかな光明は残っていた。
ザンドルの腕に抱かれて王都を脱出した彼女の息子がいたから。
出産直後で敏速な行動が不可能だったからこそ、アリーシャは自らが囮となって囚われたのである。
そして二十余年の時を経て、ついに勇者アリウスは悪逆の王ザカールを打ち倒す。
王国に平和が戻った。
だがそのとき、彼の国の人口はアリーシャが処刑された当時と比較して三分の一以下になっていた。
たった一人の暴君が為したことが、これである。
悪王を打倒したアリウスも、いつしか自分が暴君となるのではないかと恐怖した。
あるいはその恐怖から逃れるためだったのかもしれないが、彼は新たなる政治形態を模索し始める。
そして辿り着いた答えは、民主主義。
国王が政治的な権力のすべてを握るのではなく、民たちの代表による合議によって国を運営しようという考えた。
もちろんそれは、現在の地球にあるような洗練されたものではない。
しかし、ともかくも政治権力を一ヶ所に集中させてはいけないという考えの、その一歩目が刻まれた。
「これが、君が彼の地で為したことだよ。アリーシャくん」
男の声で我に返った。
両頬を伝うのは涙。
嬉しいのか、哀しいのか、私には判らない。
「今後、彼の地の歴史は新たな局面を迎えるだろう。君の死は無駄ではない……という言い方は好きではないのだが、本当に無駄ではなかった」
屈託のない笑顔を向けてくれる。
そして、
「それでは問おう。私たちからのギフトを、受け取るか否かを」
手が差しのべられた。