ぱちりと目をあける。
そしておもむろに、私はベッドから身を起こした。
軽いため息。
すたすたと台所へと進み、ガスのスイッチを切る。
「……都市ガスでもプロパンガスでも、最近はそんなもので自殺なんかできないってことも知らなかったようですわね」
愚かすぎるだろう。この世界の私は。
|山神霧花《やまがみ きりか》。日本人、二十四歳、黒髪黒瞳でやや痩せ型の女性。
つい先ほど自殺を図り、私となった。
うん。
なかなか説明を要する事態だといえるだろう。
本来、私は地球の人間ではない。クリュニクューラ王国という、いささか日本人には発音しづらい国で生まれ、そこで死んだ。
まあ、いろいろやらかして処刑されたわけだ。そして、やっぱりいろいろあって、神のような存在からギフトをもらい、この星に生まれ変わることとなった。
「これ、他人に話したらそのまま精神病院送りですわね」
肩をすくめる。
生まれ変わる際、日本で生きていく上で必要な知識は持たせてもらった。
ガスでは自殺できないというのも、もちろんそのひとつである。
「ていうか、そもそも自殺なんかするなという話ですわ」
ともかくも、この私は追いつめられていたらしい。
どうしてそこまで思い詰めたのか、生い立ちを振り返ってもさっぱり判らないのだが、自ら死を選ぶというのは愚の骨頂だ。
じつは私、敵に囚われて辱めを受けるより自ら死を選ぶ、という発想すら嫌いなのである。
人間、犯されたくらいで死にはしない。むしろ欲望を発散した直後こそ男は油断するものだ。自らの胸を突く懐剣があるなら、油断した男の喉笛を切り裂くために隠しておくべきだろう。
脱出がかなわずに殺されるにしても、それまでに二人でも三人でも倒して道連れにする。
そうすれば、味方が倒すべき敵を少しでも減らすことができるのだから。
戦って戦って戦い切ってから死んでやる。
諦めるとか、絶望するとか、そんなものは死んでからで充分だ。
「まあ、日本ではそうとう浮いた考え方になってしまうのでしょうが」
ふうと息を吐く。
私の存念は横に置くとして、とにかくこの私は自ら死を選択してしまった。それはすなわち精神的な死だ。
肉体的にはまだ生きていたが、精神はこの世から飛び立ってしまったため、いずれ完全な死に至る。
ちなみに死因はガス中毒ではなく、たんなる心不全。
原因はわからないがとにかく心臓が止まったという状態になるらしい。
精神が死ぬと肉体も死ぬし、逆もまた真なりだと、神のような存在が教えてくれた。
わりと無駄な知識である。
べつにそんなものまでインストールしてくれなくて良いのに。
ともかく、肉体は生きているが精神は死んだ私という器に、精神は生きているが肉体は死んだ私という酒を注いだ、というのが今の状態である。
拒絶反応とかを心配してしまうが、そういうことはないのだという。
彼の説明は非常に高度で、異世界人の私どころか、地球人の私にもなかなか理解が難しかったのだ。
そもそも、恒星間国家連盟なんてものは、まるっきりSFの世界である。太陽系を管轄する監察官とかいわれても、さっぱり判らなかったので、神のような存在であると解釈することにした。
「さて、さしあたりガス漏れでガス会社の人間が駆けつけてくるという事態は回避しましたわ。次は腹ごしらえですわね」
お腹が空いているのである。
冷蔵庫や戸棚を漁ってみると、じつにたいしたものがない。
インスタント食品やレトルト食品ばっかりだ。
そもそも、炊飯器はあるのにお米すらない。
私より五つも年上なのに、この生活力の無さはどういうことだろう。
公爵家の令嬢である私だって、とおりいっぺんの家事はできるように躾られたというのに、これだけ便利な道具が揃っているにもかかわらず、なんにもやっていないとは、地球世界の庶民おそるべしである。
「とはいえ、そちらのほうが普通なのかもしれませんが」
しかたなく私はハンドバッグから財布を取り出す。
「外食かコンビニご飯か、そこが問題ですわ」
入っている紙幣と相談しながら、私は呟いた。
スーパーのお総菜にしました。
今後の生活のことを考えたら、ちゃんと自炊した方が良いと思ったので外食やコンビニは候補から外し、普通に食材などを買いに行ったのである。
そしたら、なんと総菜類が半額に値引きされていた。
これを買わないという選択肢はない。
ちょっと自分でも驚くくらいの量を買い込んでしまった。
「余ったら冷蔵庫に入れておいて、明日の朝にチンして食べましょう」
思わず言い訳したりして。
異世界から日本にやってきて、最初の買い物が半額惣菜というのは、さすがに絵にならなすぎると私も思う。
だがしかし、やはり半額という言葉には抗いがたい魅力があるのだ。
わかってほしい。
「しかもけっこう美味しい。これでは自炊しなくなるのも理解できるというものですが」
苦笑しつつパソコンの電源を入れる。
食べながら。
行儀の悪いことだが、ちょっと背徳感もある。
むこうでは、食事のときになにか別のことをしたりしたら、普通に怒られたものだ。
日本でも、子供の時分にはそう教育されるらしい。
まあ、やっちゃいけないことをやるから背徳感があって楽しいわけだが。
「やたらアップデートに時間がかかりますわね。何ヶ月電源を入れてないんですの? 私は」
宝の持ち腐れである。
たいていは携帯端末でことが足りてしまうのだろうけれど。
「でも、さすがにニュースを全部スマホでみるのは逆に面倒だと思いますわ。新聞も取っていない、パソコンも開かない、私はどうやって情報を得ていたのでしょうか」
まあ、まともな情報を持っていないからこそ、ガス自殺なんて短絡するのだろう。
ちょっとインターネットで調べれば、不可能だと判るのに。
「いわゆるブラック企業に勤める社畜で、自殺するほどまで追いつめられていたというのが理由なのでしょうが」
毎日が完全にルーチンワークになっていたのだ。
考えるということを放棄して、ただ決まった日常を繰り返す。
まるで機械のように。
「これで精神を病まなかったら、むしろ奇跡ですわね」
ようやく起動したパソコンのサポート終了間近なOSを操り、必要な情報を入手してゆく。
もちろん、明日からの社会生活に必要な情報だ。
前述の通り、私はブラック企業に勤務している。
今日はたまの休みで、本当にたまの休みで、明日からまた出社しなくてはいけない。
その事実が私の精神の背骨を折り、突発的な行動に走らせたわけだ。
ルーチンワークを繰り返すなか、エアポケットのように自分の時間を持つことができたことで、もうすべてが嫌になってしまったというところだろう。
なにをひ弱なことを、と、私ならば思ってしまうのだが、それはまさに私が現実を知らない異世界人だから思うことである。
「で、戦う術を知っておかなくては、私も二の舞を舞うだけですわ」
べつに私には、この世界で果たすべき使命などがあるわけではない。
文字通りの意味でボーナストラックのようなものだからだ。
しかし、だからといって無為に時を過ごしたいわけではないし、郷里の両親より先に死んでしまうなんてもってのほか。
まして自殺なんて、論外中の論外である。
だから私だって自分が囮になったのだ。息子を守るためにはそれしかなかった。その選択に後悔はない。
が、私自身はといえば、親より先に死んでいる、と、思う。
父も母も無事に落ちのびていればという話だが。
もし捕まっていたなら、私に前後して処刑されただろう。
まったく、つくづく親不孝なことだ。
だからというわけでもないが、今生ではちゃんと両親の最期くらいは看取ってやりたい。
「厳密にいえば中身は別人なのですけれどね。ちゃんと今の両親への愛情も感じているのは奇妙なものですわね」
ひとりごちる。
両親に心配かけたくなくて仕事を辞められなかったくらいなのだから。
そのような思いにつけこみ、ついには自殺にまで追いやったブラック企業。
「許してはおけませんわね」
たったひとりの宣戦布告である。
私の弔い合戦の。