第一章 ライターの秘密 4

2485 Words
**  その女性は睦町に住んでるらしかった。  MAPで検索すると、南区の中村橋商店街付近。ここからなら余裕で自転車で行ける距離だ。  俺は早川さんが車で送るというのを丁重に断り(自転車を置いていくわけにはいかないからな)、愛車で向かう。  しかし今日は近距離ながら移動が多い。気候はサイクリング日和だが、こう何度もあちこちに行くと流石に疲れるな。どうせ急ぐ案件でもないし、のんびり行くか。俺は急ぐことなく中村橋商店街へ向かった。  その住所にあったのはパン屋だった。  こじんまりしたパン屋だった。二階建てで一階がパン屋みたいな。  パン屋に住んでる…? そう考えたが二階の窓は閉まっていて、開けた形跡も無さそうだった。  とりあえず入ってみるか。俺は店内に入っていくことにした。運良く客はおらず、レジに店員がいるだけだ。店員はパンを乗せるトレーを拭いていた。三十代くらいのお姉さんだった。 「すいません」  俺が話しかけると店員のお姉さんは一瞬驚いたように顔を上げ、すぐに営業スマイルに切り替わった。 「いらっしゃいませ」 「あの……この人を呼んで欲しいのですが」  俺はスマホの画像を見せた。紙データとか見せると言い訳が厳しいからだ。履歴書の写真がスナップ写真の切り抜きで助かった。履歴書的には最悪なんだろうが。 「はい?」  店員のお姉さんは不思議そうな顔をする。 「こちらで働いているって聞いたのですが」 「ここで?」  俺は頷いた。 「何かの間違いじゃないかしら……。パートは昼間は私ひとりだし、夜のアルバイトは大学生よ。あとはオーナーご夫妻しか居ないから。オーナーご夫妻も私と同じ三十代だし」 「…そうですか」 写真の女性はどう見ても四十代だ。この店にその年代の人は働いてはいないようだ。 「お客さんで、こういう人見たことないですか?」  店員のお姉さんはあからさまに怪訝な顔をした。そりゃそうだろうな。 「あの、実はウチの祖父が最近道で転びまして。この画像によく似た人に助けて貰ったそうなんですよ。あ、ちなみにこの画像は俺の叔母なんすけど」  店員のお姉さんはあらという顔をした。 「どうしてもお礼がしたいから探して来いって言われて。孫使いが荒いっつーか、無茶振りだろ、みたいな?」  そこまで言うとやっと笑みを見せてくれた。 「んで、何かいろいろ聞いてたら、ここのパン屋さんの人じゃないかって聞いて」 「そうなんだ?うーん、でも見たことないかなあ。でもこの画像はかなり綺麗にお化粧してるから、スッピンだともしかしたら分からないかもしれないけど。でもウチの常連さんじゃないわね。常連さんはみんなお年寄りだから」 「そうっすか。じゃあまた他当たってみます!」 「大変だろうけど頑張って!お祖父ちゃん孝行だと思って」  俺は丁寧に礼を言った。  もう手掛かりなしだな。今日はもう帰ろう。作戦練り直しだ。だとしたら……腹が減っては戦はできぬ。パンでも買って帰ろう。  店内を見て回ると運良くセール品があった。トレイに乗せる。甘いパンばっかりだ。惣菜パンもひとつくらい買っていこう。  しかし……思ったようにはいかなかった。住所くらい本当のことを書いているかと思ったんだけど。  彼女は今回の派遣が初めてではないと派遣会社の男は言っていた。今まで連絡つかなかったことはないし、仕事に穴を開けたこともなかったそうだ。  何の目的で違う住所を書いたんだ?しかもそんなに素人が思いつきの住所なんて書くもんだろうか……?  俺はひとつの可能性を考えて、レジへ向かった。 「あの……この店に本店とか支店とかないっすか?」  レジのお姉さんは丁寧にパンを包みながら答える。 「ここはそういうのないわよ」 「そうっすか」  俺は仕方なく小銭をトレーに置く。 「あ。でも姉妹店ならあるか。オーナーのお兄さんがやってる店が横須賀にあるけど」  横須賀? 「一応お店の場所と連絡先が書いてあるカードがあるから入れておくね」  そう言ってにっこりと微笑みながらパンの入った袋を差し出してくれた。 **  俺はパンを齧りながらベッドに倒れ込んだ。意外とイケるなこの焼きそばパン。  手元のカードを眺める。横須賀に二軒。明日行ってみるつもりだ。手掛かりがない以上、思いつく限り探してみるしかない。まさかたかがライターを探すのにこんなに苦労するとは思わなかった。  どっちの店も京急線沿いだ。京急堀ノ内駅と横須賀中央駅。横須賀中央駅は駅前にあるらしいが、堀ノ内駅のほうは……駅から歩いて二十分!愛車を持っていくわけにはいかないから徒歩で行くしかあるまい。今日は早めに休もう。  突然スマホが鳴った。  画面の表示を見ると、早川さんだった。仕方なくでる。 『見つかったか?』  開口一番それかよ! 「いえ……」  電話口で舌打ちが聞こえた。後ろからすいませんっ! とうっすら聞こえた。 『……舐めた真似しやがって』 「いや、だから、まだ何もしてないでしょう!?」 『うるせえ。偽の住所掴まされたとか沽券にかかわるんだよ!』  あー。もうだから会いたくなかったんだよな、大事になるから。 「明日、横須賀に行ってきます」 『横須賀?』 「もし横須賀でも見つからなかったら、ライターは諦めるよう爺さんに伝えます」  とりあえずもう一回は飲み屋から爺さんの自宅までは探してみるけどな。 『……一人で行くのか?』 「え?あ、はい」  早川さんは予想外のことを言ってきた。 『俺も行ってやろうか?』  は?  兄貴、明日は会合が……とかまたうっすら聞こえてくる。そしてドガッと大きな音がした。きっとまた早川さんが何かを蹴ったんだろう。 『……夕方からでよければ一緒に行ってやる』 「いやいや、俺はライターを探したいだけだから。もし彼女を見つけたら連絡はしますよ」 そっちの事情は俺には関係ないからな。勝手にやってくれ。 「無駄足になるかもしれないし」 『……そうか』  早川さんはそれ以上何も言わず、明日必ず連絡を入れることを約束させられ電話を切った。  俺は溜め息をつく。  ヤクザのいろいろに巻き込まれても嫌だし、早川さんの個人的な心配でも嫌だった。俺はペットの犬じゃねえし、そんなに過保護にされても困る。  優しくされて頼り切った挙げ句、いきなり突き放されて放り出されても面倒なだけだ。
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