第一章 ライターの秘密 3

2936 Words
**  その事務所は西口から少し離れた裏通りの雑居ビルにあった。  エレベーターがあってよかった。今日は意外と気温が高く、ここまで来るのに汗だくになってしまった。  4Fか。エレベーターの扉が開くと、すぐそばに扉があった。他には扉はなかったのでここで間違いないだろう。透明なガラスの扉で中を覗くとカウンターがあり、すぐにパーテーションで目隠しされていたが、それなりに綺麗な事務所ではあるらしい。 俺は恐る恐る扉を開ける。 「すいませーん」  一応丁寧に声をかける。反応はなかった。もう少し大きな声で呼んでみる。 「あー。いま受付のコが昼休憩なんっすよねえ…って何だ、お前?」  パーテーションの陰から出てきたのは受付嬢どころかスーツ姿でもない、柄シャツの前を大きく開けた男だった。しかも品のない大ぶりの金のネックレスに、オラついた態度。間違いなくアレってやつですね。 「あ、すいません。もうすぐ帰ってきます?そしたら出直して…」 「おいコラ。ちょっと待てや」  出て行こうとする俺にドスの効いた声がかかる。 「ここはホステスの派遣会社だ。てめえみたいな男の来るところじゃねえぞ。何の用だ?あ?」  どうやっても見逃してくれる気はないらしい。俺は仕方なくソイツと向き合う。 「あー。昨晩、麦田町のスナックに来てた人と連絡取りたいんすよね。爺さんが大事なライターを無くしちまって、もしかしたら拾ってねえかなって」 「あ? ウチの派遣した女が客のライターをパクったって言いてえのか? おい」 まあ、そう受け取られるって思ってはいました、薄々。だからそうじゃねえって。 「あー。そうじゃなくてですね、たまたま拾って、後で渡そうと思ってたら忘れちゃうとかよくあるじゃないですかー」  俺は敵意がないことをアピールするように、必死で説明する。 「ちょっと聞いてみてくれたりしないっすかねー。なかったらないで、爺さんにはそう伝えるだけなんで」 「はあ?オレの仕事を増やす気かてめえは!」 「ちょっと電話するだけじゃないっすかぁ……」  男はとうとうカウンターから出てくる。 「てめえ、難癖つけに来やがったな!」  だからどうしてそうなるんだよ……。 「この事務所が龍神会の息のかかった事務所って分かって来てんだろうな?あ!」  男はオレの胸倉を掴みかからんばかりに距離を詰めてきた。俺は思わず後ずさる。  あー、やっぱり。どうしてママさんが『りゅ』って言った時に『龍神会』を思い出さなかったんだろう。俺のバカ! ここはひとつ、とっとと逃げるか……。  俺はジリジリと後退った。非常階段は何処だったか?何で確認しないで入って来ちゃったんだろう。  ぽすん。何かに当たった。ぽすん? 俺は慌てて振り返る。 「よお、亘じゃねえか。こんなとこで何してる?」  あー。このタイミングで会っちゃうかあ。俺は項垂れる。出来れば会いたくなかったんだけどなあ。 ** 「俺の客人に何してやがんだ、てめえは」  そうひと言いっただけで、俺への対応は180度変わった。中へ通され、お茶なんぞ出されている。しかもペコペコと何度もお辞儀をされて。  目の前に座るのは……そうこの事務所を仕切っている龍神会の若頭だ。何故知り合いかというと……ベンさんの奥さんの元夫だからだ。離婚したのはもうだいぶ前で、今では再婚している。しかし元妻がストーカーじみた男に襲われかけたとなっちゃあ黙ってはいなかった(ちなみにそのストーカー男は何故か不起訴になったらしく、ついでに消息も分からない。いや…俺はそれについて興味はない、うん)。俺が元妻を庇って怪我をして治療費だけでいいというのを何処からか聞いたらしく、そんなに食うのに困っているのかと入院先に馬鹿デカいフルーツ盛り合わせの籠を持ってこさせた。そして俺に仕事を依頼してきたのだ。週に三回、”犬の散歩”という仕事を。 「で、何でこんなとこに来てんだ?また危ねえ仕事でもしてんのか?」  龍神会の若頭、早川さんは苦み走った格好いい人だ。仕事の時はいつもスリーピースのスーツをキッチリ着込んで、中年太りなんて1ミリも感じさせない。髪を後ろに撫で付けて、それがまた不思議な色気を感じさせた。背も高く、モデルといっても過言ではなかった。”イケオジ”ってやつだな。  早川さんは俺に”犬の散歩”という仕事をくれたのは勿論お金って理由もあったけど、今の奥さんが心配になったからだった。どこでどう恨みを買うか分からない…それを元妻の件で思い知らされたんだと思う。ちなみに奥さんはとても可愛らしい女性だ。年齢は早川さんよりちょっと下だと思うけど、全く年齢を感じさせない。俺も行く度に『可愛いひとだな』って思うくらいだから。 「危ない仕事なんてしてませんよ。ベンさんとこの爺さんがライター無くしたっていうから探してるだけです」 「あ…蓮見さんが?」  俺は頷いた。そして今までのことをかい摘んで話す。 「……ということで、その日に『アムール』に来てた人にライター拾ってないかどうか聞きたいだけなんです」  早川さんは俺には何も言わずに、すぐにさっきの男を呼んだ。そしてひと言「聞け」と言っただけだった。 「カネは足りてるのか?」  早川さんは煙草を吸いながら俺に言った。ちなみに早川さんは電子タバコである。 「まあ、それなりに、です」 「足りねえなら散歩代上げてもいいぞ」 「い、いえっ! それは上げなくていいです!」  俺は慌てて否定する。どこの世界に犬の散歩だけで一万円くれるところがあるんだよ。それが週三回だぞ? つか金銭感覚がおかしくなるし、ヤクザの仕事だけ請け負うってのもリスク高いしな。リスクは分散させておくのが俺の信条だ。 「嫁も亘のこと可愛がってるしよ。心配だっていつも言ってんだよ。何かあったらすぐに俺のとこに連絡してこい。な?」 「はい」  ちなみにここの夫婦の間には子どもがいない。それで犬を飼ったらしいのだが、どうやら俺もその仲間に入っているらしい。  すると先程の男が戻ってきた。 「お話中、すみません」  早川さんは男を一瞥した。 「……あの。電話が繋がらなくて」 「繋がるまでかけろ」 「……そうじゃなくて、現在使われておりませんって…」  男がそう言うと早川さんは目の前にある高そうなテーブルをガツンっと蹴り飛ばした。すごい音がしたし、何気に俺の脛に当たって痛え。 「オンナに舐められてんじゃねえぞ!てめえは何で飯食ってんだ?あ?」 「す、すみませんっ!」 「何で急に連絡取れなくなった?」 「いや、今までは普通に連絡取れてたんすよね……」  男は消え入りそうな声で言った。 「たまたま料金払い忘れただけとかかもしれないっすよ?よかったら住所とか分かります?遠くなければ行って聞いてこようかと思うんですけど」  俺はこれ以上怒られてるのを見るのが嫌で、何となく助け舟をだす。 「──データ持ってこい」  早川さんは苦虫を噛み潰したような顔をして男に言った。男は目にも留まらぬ速さで移動した。 「亘よぉ、あんまりウチの連中甘やかすなや」 「別に甘やかしてませんよ。まあ、ライターの行方を聞きたいだけなんで。なんかすいません」 「お前が謝ることじゃねえよ」  そう言うと、ここも意識改革が必要だなとか何とかブツブツ言い出す。こうやってるとどっかの社長みたいだ。  男はすぐに彼女の履歴書兼今までの仕事データをくれた。
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